Vaughan's TOKYO COFFEE BLOG Vol.7 -Kayaba Coffee- | cafemagazine

Coffee Break

Vaughan’s TOKYO COFFEE BLOG Vol.7   -Kayaba Coffee-

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Vaughan’s
独特の素敵な言葉で綴る、
ヴォーンさんの「TOKYO COFFEE BLOG」の第七弾!

今回は二度三度読み返すうちに、
新たな世界が見えてくる不思議で魅力的なBlogです。
Blogというか最早ひとつの作品です!
 

Vaughan’s TOKYO COFFEE BLOG 1 
ヴォーンはちょうど、
コーヒーがそうしたように私の人生に現れた。

明確にいつ、
どういう風にであったのかははっきりしないが、
–幼い頃のコーヒータイムを知らせる、
酸味のあるヘーゼルナッツの香りのように、
もしくはわたしたちが共有する
数々の思い出を印象付ける日常のように–

おそらく私はその時、
映画『リプリー』の中で
チェット・ベイカーを真似たマット・デーモンに、
全力でなりきって歌っている最中であった。

ただしもしチェットが将来性のない
痩せこけた東洋人のシャンソン歌手であったら、
の話だけど。

その夜は寒かった。良い夜だった。
事実として、そこはベルリンのサロンであった。

何年も経ち、わたしたちは東京で再会することとなる。

彼がまさしくこのブログにゲストとして書かないか、
と話を持ちかけたのはその時であった。
日本語を話さない上にコーヒー豆と
ライスチョコレートの見分けもつかない私は、
自然とイエスと答えていた。

ここで、私のような物書きが存在することを
世界中の編集者たちに警告しておこう。
まあ私の担当編集者はそのことを、
身を持って知っているわけだけどね。(笑)

コーヒーに取り掛かる前に、カヤバの外で撮影をする。
Café–日本語らしくいうところの「kaafe/カフェ」
あるいは本来お茶を飲む場所という意味の
「kissaten/喫茶店」とも言えるだろう。

実際にそこで茶を飲むのかと聞かれたら
怪しいところではある。
それでもなお、喫茶店という言葉には愛嬌があり、
このくだりで「カヤバ珈琲店」について
言及する際にはぴったりのような気がする。

そしてわたしたちがポーズをとりながら、

「巧みに利き茶をする猫と、
さも分かったようにして
実のところは何も分かっていない
自分たちについてのブログになるかもね。」

となかば自虐的に言い合ったことにもつながる。

見知らぬ日本人が近づいてきて、
デンマークの同性婚について聞いてくる。

ヴォーンはそれを、言葉の壁を利用して巻こうとする。
それはちょうど、私が日本語をわからないがゆえに
カカオトークやLINEのありとあらゆるスタンプを
熱心に真似てコミュニケーションを
図っているときに近かった。

その上私は、
ばかげたキツネのヘルメットまで被っている。
結果的にわたしたちは訳のわからなさで彼に圧勝だ。

カヤバ珈琲店(ネットによれば1938年創業)は、
一度閉店した後に再開を望まれ復活を果たした、
歴史ある喫茶店である。

店内に足を踏み入れた途端、
失恋と希望の光を感じ取ることができる。
パンダのかたちをした爪楊枝入れや、
まるで罪を冒したかのように
一列に整列してぶらさがった、
ちいさな空のミルク差したち。

建物自体が経験してきたあらゆるスリルが染み渡り、
今日までの誰かの痕跡や息遣いまでをも
かすかに感じさせている。

さて、席は二階にある。靴を脱ぎ、畳に上がる。
美術書が並ぶ本棚の前で、
寒さから解放された身体は解凍されていく。
テーブルたちが互いに2,3の恋人を
失うことになったとしたって、
8人掛けに見えた席にいざ座ってみると
4人も収まらない程である。

皆がラテを頼む中、私もそれに倣う。
ラテはあるべき様に熱く、
望みどおりの完璧な出来であり、
泡で描かれた模様は2つずつ対になって出される。

ここちよく、酸味のある優しい味わい。
攻撃的にまでも柔らかな、
茶色のクオーターブランケットと、
孤独な人々の集団を思わせるこのラテに
私は魅了されつづける。

この時点で、「喫茶店」ということばは
ロマンチックさを僅かに失う。
建物は地震をうまく切り抜けられるようには
到底見えない。
しかしこの申し分のない約束された一杯さえあれば、
わたしたちの誰よりも
長生きするように思えてならないのだ。

ほんの一瞬たりとも身もだえ笑っていないことはなかった。
それについて、テーブルとカヤバ以外の証人はいない。

立ち去ろうとした時、
秩序よく並ぶスミノフのボトルに入れられた
珈琲リキュールを目にする。
砂糖60グラム、コーヒー豆90グラム。
いつだったか、
彼と私はその美味しさについて意見が一致したはずである。
残りの夜じゅうふたりして、
とあるバンドの名前を思い出すことに熱中した。
たしかAから始まる。ひょっとするとBだったかもしれない。
夜が更ける頃までには、22通りの候補に絞り込んだ。
そこにはカクテルがあり、
音楽が邪魔になるほどことばは果てしなくつづく。

今夜生まれた驚くほど素晴らしい思い出の数々を
ここで述べることはできる。
しかしあの、この上ないコーヒーの味わいや、
彼とこんなにまで親密な友情を築きあげた
経過について考え出すと、
すっかり記憶は遠のいていく。

ヘーゼルナッツとチェットベイカー。
これが私の記憶力の限りを尽くした全てである。

そして覚えていないこと全てにこそ、意味があるのだ。

 

from the translator:

5年前の高校時代に出会ってからというもの、
Vaughanの生き方には常に刺激をもらっていました。
自分のやりたいことを貫き、周囲に影響を与えながら、
誰も実現しようとしなかったことを
可能にしてしまうのが彼のもつパワーのように感じます。

翻訳の上でふたつ、感動したことを話します。
カヤバ珈琲店や店内のモノは始終、
擬人的に描写されています。
私にははじめ
「失恋の香りを感じさせる店内」
「テーブルたちが恋人」
「喫茶店=ロマンチック」
という枠組みがどうも理解できずにいました。

しかし読み返すうちに….「喫茶店」….「kiss-aten」….
「キス」と「アテン(小惑星)」?
なるほどこの粋な発想に脱帽しました。

最終段落には強力なメッセージがこめられています。
時にどんなに雄弁でも
素晴らしい体験をそのまま他人に伝えることはできないし、
すればするほどその魅力は
薄れるように感じることがあります。

しかし当事者のなかに共有された、
「忘れてはいないけど思い出せない」
曖昧なエリアに分類されている出来事こそが意味を持つ。

そんな風な読みをしたら、なぜかとても安心しました。
ヘーゼルナッツとチェットベイカー。
直接この日の出来事とは関係のないアイテムを挙げ、
記憶力の限りだと言ってしまう部分には
筆者の心地よい皮肉を感じます。

そしてそれは読んだ後あのカヤバのラテを思わせるような、
ますますこの喫茶店に足を運びたくさせる
後味を感じさせました。

本来なら今の時期私は就活優先のはずでしたが、
ESや履歴書を差し置きすっかりこの文章や場所に魅せられ、
日々考えを巡らせていました(笑)
このような素敵なブログに携わる機会をいただき、
大変身に余る思いです。 

ヴォーンありがとう。

Kana Murakoshi
 
 

cafe// Kayaba Coffee
barista// Murakami-san
station// nippori eki
machine// La Marzocco Linea 1
beans// hono
hours// 8:00-23:00 (sundays 8:00-18:00)
website// http://kayaba-coffee.com/

photography// Naoko Okamoto
cover photo text// Rie Nemoto
special thanks to// Nik van der Giesen & Glen Clancy

 
 
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Vaughan came into my life very much the way coffee did. I’m not certain when or how, exactly— but much like the way I came to recognize the smell of sour hazelnuts as an indication of an evening cup of coffee in childhood, very much the quotidien that imprints so much of these memories we have together— I was probably in the middle of doing my best Matt Damon from Talented Mr. Ripley doing Chet Baker if Chet Baker were a scrawny Asian chanteuse with a dead opera career. It was a cold night. It was a good night. One fact: It was a salon in Berlin.

Many years later we find ourselves in Tokyo, where Vaughan suggests a guest post for his blog. Since I neither speak Japanese nor know a coffee bean from a chocolate coated rice puff, I naturally say yes. May this serve as a warning for editors worldwide. Not that mine aren’t already aware.

waves to editors

Before COFF, we pose for photos outside of Kayaba, a cafe— or kaafe in Japanese— which may also be a kissaten or a tea place just by its nature, though it serves no tea. It’s a lovely word nonetheless, and deserves its place in this paragraph. It’s also relevant as Vaughan and I discuss that this blog may be about cats expertly raking tea leaves and none of us will be the wiser, as we keep posing. We are approached by a stranger who asks about gay marriage in Denmark. Vaughan tries the discouragement by language barrier method; as I actually have no language skills, I communicate by emulating various sticker GIFs from KakaoTalk and Line. I am also wearing a ridiculous fox helmet. We win conclusively by confusion.

Walking into Kayaba (fact according to internet: built in 1938) is a memory kissaten asking to be built. You can smell the heartbreak and the silver lining. It’s a building that’s been through all the thrills, with the little touches of someone’s today— the panda-mouth toothpick holder, the miniature silver milk jugs hanging guilty, empty in a row. Our table is upstairs, shoes off, into the tatami room. We defrost ourselves in front of the bookshelf of art books. Even the table’s lost a few loves— it looks like it could fit 8, but it’s really for 4 or less.

Everyone’s getting lattes, so I don’t disagree. It is hot as it should be, expertly crafted as expected, served two at a time in matching patterns. A pleasing sweet-sour touch. I remain mesmerized by the aggressively-soft brown quarter-blankets, and the number of solitary groupings of men. The word kissaten becomes slightly less romantic. The building will not manage a shakedown, yet here it is with its perfect promised cups. Probably outlive us all. There is not a minute that passes when we are not convulsing with laughter. I hold the table witness; I hold Kabaya witness.

As we leave there is coffee liquor being made in a tidy row of Smirnoff bottles. Fact: 60 grams of sugar, 90 grams of beans. Once upon a time we must have agreed that liquor is delicious. The rest of the night is spent trying to remember the name of a band that may start with A. Or perhaps B. We narrow it down to 22 possible other letters by the end of the night. There are cocktails to be had, and no limit of language and song were going to get in the way.

I can tell you about a lot of yet another incredible memory formed, but memory specifically fails me in bringing up the best coffee I have ever had, or how we start the closest friendships we form. This is all my feeble memory can muster: It’s hazelnuts and Chet Baker. And The Everything We Don’t Remember.
 

Won Hee Chang

twitter.com/wonheechang
hi.co/people/wonheechang